こんにちは。ハワイ在住のMichiyoです。
日本にいる頃はドラマや映画を好きでよく観ていましたが、こちらに来てからは日本のテレビも観る機会がほとんどなくなったので、三浦春馬さんの死のことは日本にいる母と電話で話している時に聞いて知りました。
人の死、特に若い人の死はそれだけでとても悲しいことですが、それが自殺となると周りに残る無念や衝撃はとても大きなものだと思います。
SNSでの発言に対するコメントに心を痛めていたとか、繊細なところがあったからとか、死の理由をなんとか理解して、納得しようとしても、結局本当の理由はこれから誰が何をしても完全に知ることはできないのだと思います。
人が亡くなった直後はみんながその人の死を悼み、その人の話を聞くことができるので、近くにいた人たちは、ある意味で、その人の死を受け止めることを先延ばしにできてしまう面がある気がします。
本当の苦しみは、みんながその死を話題に出さなくなった時に、家族だったり、友達だったり、恋人だったり、そういう、本当に心を通わせた人たちのもとに訪れてしまうのだと思います。
人の悩みの8割は人間関係が原因だと聞いたことがあります。
本人がいなくなってしまった今、何が原因かを知ることはできません。原因は一つではないのだと思います。
だけど、いないからもう分からないでは、ぽっかりと空いた穴が埋まらないから、せめて納得できる理由がほしくて、あの時ああ言ってたとか、あの時ああしてあげていればとか、そんなふうに考えて、その結果、特に近くにいた人たちは自分を責めてしまうようになるのだと思います。
この爽やかな若い人の死から何か学ぶとしたら、自分の何気ない一言やちょっとした行動が人を傷つけてしまうことがあり得る、そして、それが積み重なると、人を死に追い詰めてしまうことがあるということを自覚していかないといけないということなのだと思います。
その人が繊細だったとか、弱かったとか、真面目すぎたとか、それだけで片付けるのは悲しすぎると思います。
人は誰でも繊細な部分があって、真面目な部分があって、弱い部分があるものだと思います。
誰にでも起こりうることだと思うのです。
↓ もしよろしければクリックお願いします。