こんにちは。ハワイ在住のMichiyoです。
先月書いたクアロアの「チャンスの神様」についての記事に対して、「神様」という件名でメッセージをいただきました。
いただいたメールから、一部ご紹介させていただきます。
『3月8日のMichiyoさんのブログを読んで、亡き妻と行ったクアロアランチを思い出していました。
ハワイ好きの妻との楽しかった思い出がよみがえり、少しセンチな気分になっています。
クアロアランチでは丸一日過ごしたのですが、「チャンスの神様」の存在は知りませんでした。
私は信仰心の薄い人間ですが、多くの日本人がそうであるように、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝い、お正月には神社を参拝し、仏教徒ではないのに仏教に則ったお葬式を行いました。
そんな私は「困った時の神頼み(苦しい時の神頼み)」をすることが多いのです。特に、私の妻に関する事ではいつも祈るような気持ちで過ごしていました。
妻が癌に侵された時、癌の摘出手術をした時、抗がん剤治療に苦しんでいる時、癌が全身に転移した時、新しい治療薬の治験に参加した時、癌が脳に転移して車椅子が必要になった時、治療が八方ふさがりとなり終末期医療に移行した時。何度「神様、お願いします。どうか妻を助けて下さい。」とお願いしたことか・・・。
そして、妻に残された時間が限りなく少なくなってきても「一日でも長く生きていてほしい。」と、ひたすら祈っていました。
こんなにお願いばかりしていたら、神様も呆れ果てて困っていたことでしょう。神様だって私の願いに「キリがない」と思っただろうし、人間にはいつか死が訪れるのに、生きていて欲しいといつまで願い続けるのかと・・・ましてや普段は信心のないくせに・・・
でも、その時は、本当にただただ祈ることしかできなかったし、何かにすがらなくては心が壊れてしまいそうでした。妻の最期を看取る瞬間まで「神様、どうかお願いします。あともう少しだけ・・・」と、奇跡が起きることを望んでいました。
どんなに願っても、いくら祈っても、叶わないことはあります。愛する妻との永遠の別れの時がそうでした。辛いけれど、悲しいけれど、現実を受け入れるしかなかったです』