こんにちは。ハワイ在住のMichiyoです。
ご存知の方も多いと思いますが、オアフ島には平等院があります。
一度行ってみたいと思いつつ、行きそびれていた場所の一つです。
そんな場所に夫の母の死という形で突然行くことになりました。
夫の母が施設で亡くなった後、敷地内に平等院のある霊園に運ばれたからです。
夫のお母さんが亡くなったと知らせを受けたのは日曜日の正午ごろで、私たちが平等院に行ったのはその日の午後でした。
私は当然、夫がすぐにその霊園に行くと思いましたが、夫がなかなか霊園に向かおうとしませんでした。
「お母さんに会いに行かないの?」
私はそう言いましたが、夫は「死んだ姿なんて見たくない」と言い、火葬されるまではお母さんには会わないつもりのようでした。
文化の違いなのかもしれません。
それでも私は「火葬されてしまったら、顔も見られないんだよ。後悔するよ」そう言い続けました。
夫は「見たくない」の一点張りでした。
以前も書きましたが、私は前の夫が亡くなった後、火葬を延期してもらいました。火葬されるまではそこに体があって、顔もあって、触ることができたからです。
夫のお母さんが亡くなる前、施設に面会に行くたびに夫は「死ぬのを待っているみたいで見ていてつらい」と言っていました。
夫の中ではもうお母さんは生きていると思える状態ではなく、本当に亡くなってしまった姿を見る必要はないと思ったのかもしれません。
少し時間をおいて、私は「平等院に行きたい」と言ってみました。
夫はそれを聞き入れ、私たちは平等院に向かいました。
霊園の敷地内に入ってから平等院に着くまで少し距離がありましたが、夫はお母さんの遺体がどこに安置されているかを霊園の人に聞くでもなく、直接平等院に向かいました。
平等院に着いて、私は一瞬にして日本にいる気分になりました。
ベンチに座った夫は、「こんなにいい場所だなんて知らなかった。静かで落ち着くね」と言いました。
「お母さんに会わないの?誰かに聞いてみない?」
私はもう一度言ってみましたが、夫は「お母さんが運ばれた場所がこの霊園で良かった」と言って、平等院を眺めていました。
ハワイで生まれ育った夫でも、平等院で落ち着くという感覚があるんだなあと思いました。
しばらく平等院で過ごしてから少し霊園の敷地内を見て、私たちは霊園を後にしました。
結局お母さんの遺体には会わないままでした。
でも、平等院に行ったことで夫がお母さんが本当に安らかにいられると確信したことをなんとなく感じました。
そんな夫を見て、私の心もようやく少し落ち着きました。
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