こんにちは。ハワイ在住のMichiyo です。
直感というのはやっぱりあると思います。
長い付き合いが続いている相手というのは、後から考えてみたら、初めて会った時に、この人とは気が合いそう、とか、話しやすそうな人だな、と感じた人がほとんどのような気がします。
逆に、例えば、恋人がほしくても、生理的に受け付けない人だと感じてしまうのも直感の一つだと思います。
その人のことを周りからどれだけ勧められても、いい人だと分かっていても、自分が生理的に受け付けないと感じてしまった相手と付き合っても、お互い不幸になるか、相手を傷つけて終わってしまうことが多いのではないかと思います。
でもその相手が自分にとって生理的に受け付けないと感じる人だとしても、ほかの人にとってはかけがえのない相手だったりします。
だから、直感でこの人は私の相手ではない、と思ったら、たとえ相手が自分に好意を抱いていたとしても、相手に期待を持たせないというのは、その時は相手を傷つけても、長期的に見たらお互いのためなのだと思います。
人に対してだけでなく、自分が好きなこと、苦手なことに対しても、直感があると思います。
こういうことをやるのが好き、とか、好きかどうか分からないけど、苦手じゃないかも、とか、これをやってる自分が好き、とか、少なくとも苦にならないことを選んでいくようにしたいと最近よく考えます。
二十代とか、三十代半ばぐらいまでだったら、苦手とか考えずになんでもいいからやってみる、という時期も必要な場合もあるかもしれません。
でも、いいことかどうかは別として、私は、自分が苦手だとすでにわかりきってることとか、嫌だと感じることには出来る限り時間を使わないようにしようと思っています。
亡夫が三十代で突然亡くなり、人生がある日突然終わってしまうことが本当にあるということを間近すぎるぐらい間近で感じたせいもあるかもしれません。
人が死ぬ時の後悔の原因は、多くの場合、働きすぎたこと、好きなことを仕事にしなかったこと、家族との時間を大切にしなかったこと、人の目を気にしずきたこと、なのだそうです。
どれをとってみても、好き、だったり、大切だったりする人や物事を疎かにしてきたことを人生の最後に多くの人が後悔するということなのだと思います。
自分と、自分にとって大切な人との限られた時間を、心地よく、後悔しないように過ごすということは、幸せを感じながら生きるためには必要だとなんとなく分かりながら、でも、そんなシンプルなことを、多くの人ができないまま人生を終えてしまうということなのかもしれません。
だとしたら、私自身も常に意識していないと、きっと時間や日々の忙しさに流されて、同じ後悔をしてしまうのだと思います。
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