こんにちは。ハワイ在住のMichiyoです。
数日前、夫が涙を流すのを初めて見ました。
一年ほど前、夫の母が亡くなった時も、数ヶ月前、夫の父が亡くなった時も、夫が涙を我慢している、とか、サングラスで涙を隠していると感じたことはありましたが、私の前で涙を流すことはありませんでした。
そんな夫が涙を流すのを初めて見たのは、数日前、夫の親友夫婦と電話で話した時でした。
その夫婦とはハワイに住む前から会ったことがあり、私も何度も一緒に遊んだりキャンプに行ったりしています。
夫婦は、今五十代の夫とは歳が離れていて、三十代半ばです。
親友という表現をしたのは、夫とその夫婦がお互いとても信頼しあい、心から打ち解けあっているのを会うたびに感じてきたからです。
快活なその夫婦の間には今3歳と1歳のお子さんがいて、見るからに幸せな家族という感じです。
その日はたまたま私たち夫婦の方が相談したいことがあって、私たち夫婦とその夫婦は4人で電話で話していました。
私たちの聞きたかったことを一通り話し終わった時、「最近遊びの計画できてなくてごめんね」とご主人の方が言いました。
夫は「コロナのせいでパークもビーチもどこもクローズだし、どこも行けないよね」と答えました。
(ちなみにハワイでは今はコロナの感染者が増えた影響で、一緒に住む家族以外は会っては行けないことになっています。でもその電話の時点では、家族以外でも集まることは禁じられていない時でした)
そのあと、ご主人の方が続けました。
「妻がガンだって分かったんだ。ステージ4なんだ」
夫も私も言葉を失いました。
その瞬間、夫の目から涙が溢れ出し、そしてこぼれました。
私も涙を止められませんでした。
「どんなことでもするから、なんでも言え」夫は何度もそう言っていました。
夫婦は笑って「分かってる、そう言ってくれるって分かってたよ」と答えました。
「本当に何でも。何でも」
夫は繰り返し言い、親友夫婦は「分かってる、分かってる」とまるで夫をなだめるように笑っていました。
「希望を持っていこうって決めたんだ。だけど、これから半年くらいは遊びに行けないかもしれない」そんなことを言いながらも、夫婦は終始笑っていました。
心配症の夫に、なるべく心配をかけないように、きっと明るく話そうと決めていたのだと思いました。
もう一度「何でも言え」と言った夫に、夫婦は相変わらず明るい声で「分かってる」と答えましたが、夫は「分かってない、本当に何でも言え」と言いました。
電話を切った後、完治を信じるしかないと2人で話しました。
その夫婦の笑顔や、小さな2人のお子さんの顔を思い浮かべながら、これから始まる治療のことなどを想像すると胸が苦しくなりますが、小さな子供の存在が病気を治すという気持ちを強くしてくれるはずと信じて祈るばかりです。
そして、そういう出来事のひとつひとつが、一瞬一瞬を無駄にしないようにしようという、意識しないと忘れがちな時間の大切さを思い出させるサインにもなっているのだと、自分自身に言い聞かせました。